ミイラに会いにいった

本日の天気

今日は雲が多めだったが、冷え込んで最低気温2.5℃だった。日中も日差しは多くなく、最高気温10.2℃までしか上がらなかった。
午後にはほんの一時小雨がぱらついたが、地面が濡れるほどではなかった。
明日は晴れて、暖かくなるらしい。

 

ミイラに会いに行った
国立科学博物館の特別展示『ミイラ―「永遠の命」を求めて』を見に行く。
開館して間もなく現地に到着したのだが、すでにいくらか行列になっていた。まあ、チケットを買ってから10分ほどで入れたが。
内部はいくつかのゾーンに分かれていて、まずは「南北アメリカ」、次に「エジプト」「ヨーロッパ」「オセアニアと東アジア」という順番だ。
この中で、アンデス地方とエジプトはミイラに関しては別格の地域。
展示されているミイラの数でも、この2地域は群を抜いている。
アンデス地方だと、自然にそうなったミイラも存在するが、エジプトの場合、たまたまそうなって体が残った遺体を見て、ミイラづくりが始まったといわれ、人工ミイラが圧倒的だ。
ま、ミイラというと、包帯を巻かれたエジプトミイラっていうイメージだしね。
アンデス地方の場合、包帯じゃなくて布で巻かれている。だから、ミイラで包帯というのは、間違いなくエジプトのものだ。
ヨーロッパの場合、ごく一部の部族がそういう風習を持っていたくらいで、基本的には自然ミイラだ。泥炭湿地の中に埋まっていたとか、氷河の中に閉じ込められていたとか*1
泥炭湿地に埋まっていたミイラの場合、土壌がアルカリ性だと皮膚が溶けて骨が残り、酸性だと骨が溶けて皮膚が残るという。
ちなみに日本の場合、火山地帯ということで、火山灰が混ざっていることが多く、圧倒的に酸性土壌である。よって、比較的早い時間で骨まで溶けてなくなってしまうことが多い。日本であまり人骨が見つかっていないのも、そのせいだ。
次がオセアニア。正直、そこにミイラを残す文化が存在することは、この展示を見るまで知らなかった。
ちなみにこの地域の場合は、気候的にミイラが自然にできるには厳しい条件であるため、大体が人工ミイラだそうだ。
遺体を火の上で3か月も燻してミイラにする部族もいたそうである。
他にも、一度埋葬した後、頭だけ取り出して装飾を施し、保存しておく風習を持つ部族もいたそうな。
こういうのって、一度植民地化されたりすると、当時のヨーロッパ人の価値観を押し付けられて廃れていっちゃうんだよなあ。
東アジアというと、これ実質中国とわが日本となる。
中国の場合、自然ミイラは多いが、人工ミイラと呼べるものもあるらしい。実物の展示はなかったが、動画が会場内に流れていた。
肉身仏というもので、高僧の死後、その遺体に麻布を巻き、その上から漆などを塗りこめて生前の姿を再現したという。見た目は彩色された像だが、X線で撮影すると内部に人体が埋め込まれているということがわかるというものだ。
日本の場合も、夏場は高温多湿ということを考えると、ミイラに向いているとは言えないのだが、それでもいくらかの自然ミイラと、ある種の人工ミイラと呼べるものが存在する。
今回の展示で特別だったのは、即身仏「弘智法印 宥貞(こうちほういん ゆうてい)」様だ。
他のミイラは知的好奇心で見学していたが、この一体は実際に「仏」として信仰の対象となっている。よって、じろじろ見るのではなく、真正面に立って目をつぶり、一礼した。
この方は、衆生を救わんと自ら即身仏となった。失礼があってはいけない。
そして第二展示場に移って、懐かしいものを見た。
かつて、この国立科学博物館の展示を見たときに、ミイラと干し首がケースに入れられているのを見たことがあった。もう何十年も前の話だ。
そして今回、かつて見たミイラと干し首が第二展示場にいたのだ。
間違いなく、このミイラと干し首は見た。その記憶がある。懐かしかった。

その後、オフィシャルショップにて図録と首飾り、ちょっとしたパーツなどを購入し、さらに会場限定ガチャをやる。
あ~……図録以外、全部エジプト系じゃん。首飾りとパーツの意匠はスカラベだし、ガチャで引いたのはカノポス壺だ。
その後、博物館を出て昼食を取り、帰宅。
しかし、思った以上に混んでいた。で、親が興味があって来ているんだろうけど、ちっちゃい子供にとって、ミイラって面白くもなんともないぞ。かえって怖くなって嫌な思いするんじゃないかね。それか飽きるかだ。
色だって、ほとんど黒と茶系しかないし。
エジプトゾーンだって、金ぴかのものがあったわけじゃないし。グッズコーナーのほうが、よっぽど派手だった。
それはともかく、初めて知ったことも多かったので、満足な特別展示だった。

 

*1:氷漬けミイラで有名なのは例の「アイスマン(エッツィ)」