今日も

予定をこなす。
行ってみたらば、いろいろあって、ただ時間つぶしに立っている時間の方が長いという、なんだかなあという感じの状態となった。
でもまあ、割とすぐ帰れたのだが。
いいのか、こんなので。


で、舛添氏、都知事を辞任というニュースだが、正直、インタヴューでぎゃあぎゃあ文句を言っている人たちほどには、私は舛添氏に対して怒りは感じていない。
政治資金規制法に対してグレーだという使い方に関して、「どの国会議員だって、大なり小なり似たような使い方はやっている*1」と思っていたからだ。公用車の使い方に関しては、ちょっと苦笑するところはあるが、「言い訳下手だな」とは思う。
ハナから、舛添氏に対しては「きっちり実務をやってくれりゃいい」と思っていたので、そういう意味では、そこそこやっていた人だという印象は持っていた。
舛添氏が選ばれた前回の都知事選でも、舛添氏に入れたことは確かだが、人気投票で入れたつもりは毛頭ない。
各候補者の公約と自分自身の考え方と照らし合わせて、消去法で消していったら舛添氏しか選択肢がなかったのだ。
だから今でも、舛添氏に投票したあの時の自分の判断を、後悔などしていない。
もし、今またあの時と同じメンツで選挙をしたとしても、私は舛添氏に入れる。
今マスコミは、「人気投票にしてしまった都民も悪い」とか、「今度こそ慎重に一票を」とはやし立てているが、立候補するメンツの中から、自分が「この人物なら自分の考え方に近い。一番マシそうだ」と思う人物を選び、投票することには間違いないのだ。
あの時は、私の考え方と同じ方向性を持っていた人が舛添氏しかいなかった時点で、ほかの人に入れるという選択肢は存在しなくなっていた。
要は、『どんな候補者が出てくるか』だ。
選挙というものは、「一番マシな人物に入れる」以外の選択は存在しないのである。
次の都知事選に誰が出てくるかわからないが、私にとっての選択の価値観は、前回と同じなのである。

*1:今回の政治資金の使い方の問題は、舛添氏が参議院議員時代のあれこれ